人の行く 裏に道あり 花の山
講釈:
あっ、そうだ。
落語の演目に『平林』というのがある。アホな丁稚どんが『平林』さんちまで手紙を届けるよう頼まれるが、途中で読み方を忘れて道行く人に尋ねてまわる。尋ねる相手はお医者さんや教員風、いわゆる頭のいい人たちで、「たいらばやし」や「ひらりん」や「いちはちじゅうのも~くもく」、挙句の果ては「ひとつとやっつでとっきっき」など人を喰った奇妙奇天烈な読み方をアホな丁稚どんに教えるやつもいる。しかし最後は丁稚どんが届け先の玄関で「こんにちは、ひらばやしさん」とあいさつ。結局このアホな丁稚どんが一番素直で賢かったというのがオチである。
教える人たちは何もこの丁稚どんをからかっているのではなかろう。初めこそ「何だ、こんな簡単な字も読めないのか」などと馬鹿にしていたのだろうが、「いや、こんな簡単な字の読み方を聞くのは、他にもっと違った読み方があるに違いない」、あるいは「え!?他人はそんな読み方をしたのか。なら俺はもっと教養のある読み方をしてやろう」などと考えたに違いない。虚栄心や、ライバル意識、プライド、そんなものが邪魔をして『ひらばやし』と素直に読めなかったのだな。
人は、いや相場に足を突っ込んだばかりの初心者は、人気のある、チャート的にもきれいなトレンドを描いているものをトレードしたくなるに違いない。だが、最初は勝たしてもらっていても、そのうち上手くいかないようになる。ビギナーズラックだ。そして、だれもが勝つというわけにはいかないので当然負ける。負けることが圧倒的に多くなる。多数の個人投資家の損と少数派の勝ち組の益の総和はゼロ、というのがゼロサムゲームなのだから。
そこで、そんなことではへこたれない(精神的に、そして資金的にも)投資家は悩むことになる。そこにこの格言がすうっと耳に入ってくる。
「人と同じことやってても一生勝てないよ。こういう時は逆張りでもしてごらんな。上がったものは下がる、下がったものは上がるのが相場の常だから」
悪魔の囁きである。この悪魔は単なる阿呆には囁かない。阿呆のままだからだ。そのかわり、少し知識と経験のある投資家には優しく近づいてくるのが一般的だ。なにしろ自分が言ったように行動してくれる。ヒロポンを打てと言われれば打つし、酒色・女色におぼれろと言われればそのようにする。時々は投資家の夢=相場に勝つことをかなえさせてくれもする。だが、トータルでは勝たせてくれない。だからその悪魔からは放れていくのだが、またすぐ違う悪魔がささやいてくる。
「あいつはデタラメだ。あんなやつに頼ってては一生台無しさ。どうだろう、ここは順張りに戻ってみては。いや、ただの順張りじゃないぞ。ほら花見の客がそろそろ帰っていくだろう。その後を狙うんだ」
もうおわかりだろう。投資家は次々とあらわれる違うタイプの悪魔に心奪われ、その都度服従するが、いつまでたっても心の安住は得られない・・・聖杯探しの旅を続けるのである。
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そう、今回のこの格言は悪魔の囁きそのものである。虚栄心やライバル心、プライドなどは今すぐ捨てるがいいだろう。そして、今まで自分がやってきたことに立ち返るがいい。そしてそれを愚直なまでに追及するのが、聖杯探しの近道だろうと思う。
聖杯はきっとある。そのうち見つかるさ。
≪了≫
◆相場格言曲解講座
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