●株価はランダムウォークする
講釈:
その日私はゲームセンターに立ち寄った。約束の時間にはまだ1時間以上間があったからだ。店内は薄暗く、いろんなゲーム機の電飾の明かりだけがついたり消えたりして、ちょっとした異界のようだ。まだ日が完全に落ちていない時刻だからだろうか、客も2,3人しかいないようだった。
私はひととおり店内を見て歩き、もっとも面白そうと感じた競馬ゲーム機の前に立った。そのゲームはかなり本格的で、ビリヤード台ほどの大きさの盤面に模型の馬が6頭、1着と2着の連単を当てるゲームだ。レースごとに馬名、人気、脚質などが表示されて、ゲーム客の興味をひく一助になっている。ゲーム台の周囲には計10席ほどのシートが設けられ、客は好きな位置のシートに座り、手の位置にある30通りのコイン投入口に思い思いにコインを投入してゲームを楽しむのである。
その頃の私はゲームではなく本物の競馬にかなりはまり込んでいたのだが、もともと博才のない質であるからだろう、ほとんど当たることはなかった。
私は中穴狙いである。本命狙いでは配当金が小さく不満だ。かといって大穴狙いでは当たる確率がぐんと小さくなる。その中庸として選んだだけではあるが、戦績はやはり芳しくない。
そのゲーム機でもやはり同じ戦法をとった。すなわち、1番人気と6番人気を外して、残り4頭、12通りの出目すべてに1枚づつコインを投入した。・・・まったく当たらなかった。
3レースほどやった頃だったろうか、こちらをこそこそ見ている人物のいることに気がついた。先ほどまで私以外このゲーム機で遊んでいる人物はいなかった。いつのまにかもう一人客が増えていたのだ。そっと横目で見れば、背が高いスーツ姿のサラリーマン風の中年男性だった。ちょっと小金を持っているような感じで、キツネ目に濃い茶色縁の眼鏡をつけていた。嫌な印象だ。
すぐに彼が私の手元を見ていたことに気づいた。私がどの目に賭けるかを遠目で覗いてから、3つ離れた自分のシートでコインを投入していた。
私はゲームに負け続けた。しかし、彼は勝っていた。毎レース払い戻し口から出る、コインの音がシャリシャリシャリと聞こえていた。
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その夜、遅く帰った私はベッドに横になりながら、あのサラリーマン風の男のことを考えた。
おそらく、あいつは俺の逆張りをしていたにちがいない。私の賭けていない出目に張っていたのだ。では、なぜあいつばかりが勝つのだ?俺が勝ってもいいではないか。
そうやって考え続けて、私はある結論にたどり着いた。
あの競馬ゲームは、客ではなくオーナーが勝つようにできている。1ゲームごとで計算すれば客が勝つレースもあるだろうが、トータルでみればおそらくゲーセンのオヤジが勝っている。たとえば客がもっといっぱいいて、すべての出目にベットされているのなら、機械が一番配当金の少なくてすむ目が出るようにレースが作られている。そして私が中穴狙いなら、あのサラリーマン風は本命狙いと大穴狙いの両にらみで賭けていたのではないか?そしてレース毎に、配当が一番少ない、おそらく一番人気がらみでのレースになっていたのではないか。
あいつは知っていたのかもしれない。
それ以来私はアットランダムという言葉を信じなくなった。
世界はプログラミングされている。
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翌日、私はもう一度同じゲーセンに行った。あの嫌な眼つきのサラリーマン風が、きのうと同じような賭け方をしているのかどうか確かめたくなったのだ。しかし、きのうと全く同じ店内はうす暗く、ゲーム機の電光だけに頼った照明のなかで、彼の姿を見つけることはできなかった。
そのかわりに、あの競馬ゲーム機に陣取っていたのは、ジーパンをだらしなく下にずらせてはいた、小太りの青年だった。その青年は4つのシートを占領していた。他に客がいなかったので店側も注意しなかったのであろう。4つのシートを順番に回って、次々にチップコインを投じていた。片手に持ったコインBOXには、おそらく1000枚以上のコインが重なっていることが確認されたが、それがこの競馬ゲーム機での戦利品であるかどうかは知らない。
私は彼を観察し始めた。本当はすぐ近くで彼の手口を見たかったのであるが、見つかってじろっとにらまれるのを恐れて、遠まわしにちらちらと窺う程度だった。が、そのチップの賭け方はだいたいわかった。
彼は4つにシートのそれぞれに、30通りある出目のうち7つ、あるいは8つに賭けて、すべての出目を網羅するような賭け方をするときもあった。また、ひとつの数字だけを外した20通りに分散投資する時もあった。外した数字の意味はわからなかったが・・・。
そうだ。彼は4つのシートのうち、どこか1つのシートで勝てばいいと考えていたのである。だから、毎レースとはいかないが、どこかのシートの払い戻し口からはシャリシャリシャリとコインが払い戻される音が聞こえた。彼は勝ったシートからコインを回収しては、それを自分のコインBOXに加え、また次のレースに賭けていたのである。
だが、私は知っていた。最終的には彼はオケラになるということを。レースを繰り返せば繰りかえすほど、コインが目減りしていることを彼は知らないのだろうか。
ほどなく私は店を出た。おそらくこれから夜の仕事に従事するであろう人達とすれ違うように駅に向かった。しかし、私は思い直して、アパートまで歩いて帰ることにした。1時間以上かかることはわかっていたが、電車に乗ってしまえば、吉野家の牛丼すら食えないことに気づいたからだ。
道すがら、私は彼のことを考えた。なんて馬鹿な奴なんだろう。あのゲーム機はプログラミングされている。どんな賭け方をしても、顧客は最終的に勝てないのだ。・・・・・・・・
しかし、次第に考えが変わってきた。いや、待てよ。彼は闘っていたのではないか?どんな賭け方をすれば大金持ちになれるのかを探っていたのではないか?1枠を外したり、2枠を外したり、あるいは1番人気の枠番を外したり。それぞれに意味があり、その結果を実感しようとしていたのではないだろうか。
そう考えると、きのうの嫌な眼つきのサラリーマン風に対しても愛着のような気持ちが湧いてきた。彼もまた探っていた。あのゲーム機のプログラム自体を。そして彼の場合はある程度真実に近づいていたのではあるまいか。そのプログラムを確かめるために私を利用しただけなのであろう。
私は自分を恥じた。闘わずして、一獲千金を狙う夢ばかりを追っていたからだ。
明日からは自分も闘おう。そう決心すると、ちょうど目に入ったオレンジ色の看板の店に入った。「牛皿の並とビール」。私は嬉しくなってカウンター席から少し声を張った。
≪了≫
◆相場格言曲解講座
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